BI(ベーシック・インカム)

原田泰『ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか』(中公新書)、左派的なベーシック・インカム議論は、確か数年前にわりといろんな雑誌などで見かけていた気がするけれども、その時には思考実験の域を出ない気がして、コンセプトには何となくの共感を覚えながらも、現実味を感じられないままに議論も下火になったように記憶している。しかしこの本は、まさにそうした「思考実験的なベーシック・インカム論」とそれに対して向けられた批判ポイントをくみとりつつ、きわめて戦略的な議論を展開していく(著者はリフレ派であるし)。

例えば生活保護制度と対置させながら、ベーシック・インカムを導入することの優位性、さらに貧困を解決する上ではより実効性が上回ることを、財源をもきちんと示したうえで説く。生活保護制度とはその給付額の是非はさておき(日本の給付額が高め設定であることは知らなかった)、アクセスできる人のパーセンテージがきわめて低い制度的失敗にあるのだという現実を指摘した上で、潔いまでに「金を薄く広くばらまく」ことで貧困が解決できると主張するのだ。それは民主党による子ども手当の発想と同じく、「企業福祉」の発想から「国家による福祉」への転換に他ならない。

「貧困が問題だ」ということは日本の相対的貧困率の高さがアメリカに次ぐ2位であるというよく出回る指標とともになんとなくの社会的コンセンサスは一部あるように思うが、雇用の劣化やアベノミクスの「第二の矢」への批判など現状批判をおそれず、貧困をめぐる原因にもくまなく目配りしたうえで、「だからベーシック・インカムが必要だ」という結論にあらゆる角度から説得的に収斂させていく、ぶれのない論の運びが小気味よいくらい。

第2章「ベーシック・インカムの思想と対立軸」では浅からぬ歴史をもつベーシック・インカムの理論的根拠を、功利主義リベラリズムリバタリアンの3つの政治的立場に沿って示す。かと思えば、近衛文麿の「富を持っていないものは、略奪ゲームをやり直す権利がある」といとた思想性をバッサリとわりとページ数を割いて批判するあたりも気持ちがよい。近衛のこの思想性が時代を超えて再登場しかねない危険性を暗に示しているよう。

他にも面白いところは尽きないが、最終章において、労働意欲を削ぎはしないかとの批判に対するひとつの回答として次のような価値観が示されるのは好ましい。

「私は、BIが青春彷徨の機会を作りうることを、むしろ積極的に評価したい…私たちの社会は、優れたミュージシャン、アーティスト、アスリートを欲していると思う。…であるなら、貧困を消滅させるためのBIが、青春彷徨と文化への献身を増大させる側面を持つことはむしろ好ましいのではないだろうか」

ベーシック・インカム - 国家は貧困問題を解決できるか (中公新書)